ネット実名制の根本的な欠陥

あんなもんはただの飾りです。偉い人にはそれが分からんのです。

実名を強制したとして、それが本当に戸籍上のその名前を持った当人であるかどうかなどというのは、確認方法がない。社保庁自治労とメディアが潰した日本版ソーシャルセキュリティナンバーが存在しない以上、どうしようもない。さらには同姓同名を一意に決定する手法など存在しない。もしあれば社保庁名寄せに垂れ流している税金がどれほど節約できることか。さらには、一個人が複数の場で複数のパーソナリティを使い分ける表と裏がある。


安藤恐竜は本当の名前であるかもしれないし、そうではないかもしれない。ひょっとするとシーサーに書いているAndroid Zaurusと、ここに書いている安藤恐竜は別人なのかもしれない。だとしても、何か不都合があるのか。大切なのはアウトプットされた情報であり、そこに書かれている内容だけだ。どっかのバカがZaurusAndroidを載せて遊んでいるという情報が世界に向けて発信されていることが重要なのであって、そのバカがどこの誰なのかは重要ではない。


それよりも、実名制が招くであろう暗黒が震え上がるほど恐ろしい。人権擁護法案というゾンビ法案がある。ネット実名と人権擁護法案の組み合わせを思うと、日本\(^o^)/オワタ。

  1. 恨みを持つ相手の名前を騙ってネット上に捏造した情報を発信する
  2. Web魚拓を取ってから消す
  3. 人権擁護委員会に告発する

Mission Complete。いとも簡単に相手を社会的に抹殺できる。


ネットは巨大なデータベースであり、データベースそのものは何も新しい情報を生みはしない。新しい情報を生むのは「なかのひと」だけ。だったら、「なかのひと」が居心地よい「そと」でなければネットは滅びる。ひいては日本\(^o^)/オワタ。


イーストさんがAndroidのAppletをにょろんと公開できたり、ブリリアントサービスさんが会社のWebにもない動画をYouTubeに流せたり。そーゆー自由度こそが「なかのひと」の居心地の良さなのだと思う。